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ヒーリングプレゼンス vol.19 2022年7月(公開)

2022年7月6日

終末期のヒーリングタッチ

 梅雨が風のように駆け抜け、日本列島は突然真夏の極暑の季節を迎えました。湿気が高い日本では、気温以上に、からだへの負荷がかかります。水分を小まめに取り、睡眠の環境を整え、無理をしない生活を試みて、夏を過ごしていきましょう。

 ヒーリングタッチは様々な場面で活用できるのは皆様が既にいろいろとご体験されていることと思います。その中でも、ヒーリングタッチの特徴や良さが遺憾なく発揮されるのは、終末期におけるケアにおいてではないかと思います。終末期では、痛みや苦しみなどの身体的な苦痛、不安や悲しみ、恐怖といった精神的な苦痛だけでなく、スピリチュアルな苦痛も伴います。終末期のヒーリングタッチでは、人生においての振り返りをしたり、やり残した課題と向き合うなど、ご本人が自分自身の深い領域に入っていく状態に対する対する手助けをし、それによって内省や自己の気づきが促される機会にとなることもあります。

  ホリスティックケアの考え方では、「病気が治らなかったとしても、人は最後まで希望がある」と言われています。ヒーリングタッチは人生最後の瞬間まで、その方とともに可能性のプロセスに優しく寄り添うことができるのです。

特集:スピリチュアルケアを学ぶ

 スピリチュアルケアをご存知ですか?その名が表す通り、スピリチュアル的なケアなのだろう、また、終末期のケアのひとつかな、と想像はできますが、実際にどういうものか、というのは、学んで見ないとわかりません。HTSJでは、ヒーリングタッチが活用できる可能性のあるケアとして、今年の9月から、定期的にスピリチュアルケアを学ぶ機会を設けていきたいと思います。

 ホリスティックケアは、ヒーリングタッチの基本でもありますが、まずは、ボディ、マインド(感情・思考)、スピリットのスピリットの部分のケアを深めていく助けになればよいな、と思っています。ヒーリングタッチ・ベーシックで、PEMSからセルフケアを見ていく、ということを学んだと思いますが、セルフケアの一貫として、自分自身のスピリチュアケアを広げていく機会にもなると思います。

 それでは、スピリチュアルケアを学んでいきましょう。

日本人とスピリチュアルケア

大下大圓 飛騨千光寺住職、和歌山県立医科大学連携教授、HTSJ顧問 

1)スピリチュアルケアとは

 筆者がこれまでの30余年の臨床スピリチュアルケアを通じて思うことは、個人の価値観や地域性はあるものの日本人のEOL(エンドオブ、ライフ)ケアには、家族の意向や個々の思いが影響する傾向があります。欧米のように個人的価値観を最優先する社会とは異なる心情をもつ日本人の特性では、人生の最後をどう過ごすかということを、家族や配偶者を気遣って、本人だけではなかなか決められないという事情もあります。家族とのつながりには、法的な関係性だけでなく、情緒的精神的なつながりが大きいものです。生育歴や身体的状況、経済的状況など一様ではなく、特にEOLケアにおいては、それが集約化された形で存在することが多いのです。 つまり病気になる時点で、仲のよい家族と比較的疎遠な家族関係では、病気になった本人を家族のだれが中心になって、どのようにケアし、どのように関わるかは大きな違いとなるのです。一番大きいのは配偶者同士の関係性です。個人の性格も影響し、本音を語り合える関係性もあれば、なかなか本音を出せずにお互いがギクシャクしているケースも見受けられます。 人は重い病気になることで、日常が脅かされるということは大変な心理的苦痛でもあり、やがて、その先に「死の不安」などがよぎって、その後の心身に起こる変化に慎重になります。死の不安は、生きる意味や存在性を脅かすスピリチュアルな課題となって表出するのです。それらはすべてスピリチュアルな課題であり、スピリチュアルペインなのです。 スピリチュアルペインは根源的な課題を抱えており、十分なアセスメントや共感理解のうえでケアにあたることが望まれます。そういう人間の心の深いレベルで関わる営みを「スピリチュアルケア(spiritual-care)」といいます。

 スピリチュアルはスピリット(spirit)の形容詞で、スピリチュアリティはその名詞形になります。『広辞苑(第6版)』には、“スピリット”は「霊、霊魂、精霊、精神」「気性、気風、意気」と表記され、また“霊”は「肉体に宿り、または肉体を離れて存在すると考えられる精神的実体。たましい。たま」とあります。“たましい”とは「動物の肉体に宿って心のはたらきをつかさどると考えられるもの」「精神、気力、思慮分別」などとあります。スピリチュアルの訳語としては、「霊的、魂的、たましい的、心性的、哲学的、実存的、宗教的、超越的」などさまざまな言葉が充てられて多義的な側面があります。したがって、たとえば病棟のカンファレンスなどで「この患者さんはスピリチュアルペインをもっている」と報告したとしても、具体的にその方が、どんなスピリチュアルな課題や痛みをもっているのか、すぐにはスタッフ間での共通理解にはなりません。患者や家族のスピリチュアルな課題は、まさに多義的な意味合いをもっていますから、その患者に即した具体的で慎重なアセスメントが必要なのです。 

 WHO(1998)によるとスピリチュアルには「1.人生の意味・目的・成就を見出す欲求。2.生きる希望または意欲の欲求。3.自己、他者、神(超越者)への信念と信仰の欲求」という3つの領域を説明しています。  しかし、スピリチュアルケアの根本となるスピリチュアリティについての解釈には、実に多義的な概念があり、とくに「日本人のスピリチュアルケアとはいかにあるべきか」という議論はそんなに時を経ていません。筆者が組織の立ち上げから理事をつとめている「日本スピリチュアルケア学会」は2008年に設立され、学際的な視点から日本におけるスピリチュアルケアのあり方を議論し、検討を加えています。その会則「第2条」には「本会は、すべての人びとがスピリチュアリティを有しているという認識に基づき、スピリチュアルケアの学術的・学際的研究およびその発表と実践とを通して、スピリチュアルケアを含む全人格的なケアが社会のあらゆる場面で実践されるよう推進することを目的とする」として、全人的なケアを緩和ケアだけに特化せず、あらゆる社会の場面で展開できるような人材育成や学術活動を目指しています。わが国ではスピリチュアルケアという言葉は、主に緩和ケアやホスピスの分野で始まりましたが、今日では医療だけでなく、衣食住や経済活動でも重視されるようになりました。

  日本スピリチュアルケア学会内でもスピリチュアリティやスピリチュアルケア、定義やその運用についての議論は毎年深まっています。わが国におけるパイオニアでもある窪寺俊之のスピリチュアリティの構造分析は、縦軸を基調とする非常に分かりやすい表現をしています。窪寺のスピリチュアリティの分類は「内的自己への関心」と「外的他者への関心」でまとめられています。「内的自己への関心」には「1.自己の人生への関心、2.自己の人生への疑問、3.自己との格闘、苦悩、葛藤、4.自己の生への束縛からの解放、願望、期待、5.自己の生の目的、意味、価値への疑問、探求、6.真の自己の発見、7.自己の生の承認、受容、8.自己の中に永遠の発見、9.永遠、真理、充実に生きる」とし、「外的他者への関心」は「1.超越者への関心、2.期待、3.憧憬(あこがれ)、4.超越者への知的願望、5.獲得欲求、6.信じる(自己投企)、7.自己献身、8.超越者との一致、帰一、9.完全なる自由」が説明されています。窪寺の宗教的背景にはキリスト教がありますが、特定された神(超越者)というよりは「生きる土台や枠組み」を見出す存在としての関連性を重視しています。また「超越的なもの」「究極的なもの」との関連性を樹立する方法には、「新たなスピリチュアルな世界の入り口にたつこと、超越的世界の大きさと神秘なる未知の世界の深さを知ることであり、その中に身をゆだねることである」という態度のありようを明示しています。さらには、この境地の目指す意味は「人間としての有限性や限界に伴う不安や恐れから解放されて、宇宙の一部になることで与えられる安らぎや希望を生身のままで体験すること」であるとしています。

 一方、仏教徒で大学教員の谷山は、特定の宗教性を語るのではなく、「わたし」を「現実的次元」「内的次元」「超越的次元」の三相で説明しています。内的次元は先の窪寺の究極的自己と同じで、「超越的次元」は「外的他者への関心」と同じと思われますが、苦も楽も負も正も対極的二元論ではなく、円環を説明して一元的な視点が注目されます。 具体的には「わたし」と関係する「現実的次元」の「①「人」家族・友達・恋人、⑤「事」環境・芸術、で、「内的次元」では②「去」過去の自分、人生の結果、③「今」本当の自分、もう一人の自分、④「来」未来の自分、人生課題、があり、「超越的次元」では⑥「理」心理・宇宙、思想、⑦「神」神・仏、超越者、⑧「祖」先祖・偉人・物故者」となります。また谷山は「スピリチュアルケアはスピリチュアリティに対するケアである」という立場をとりながら、仏教の解釈としてスピリチュアルペインを「苦」であるとし、その解釈は「思い通りにいかないこと」であり、その要因として「①自分の人生は思い通りに運ぶという思い込み(渇愛、執着、無明)、②思い通りにいかない出来事に遭遇、③内面におけるスピリチュアルペインの生起、④否認、怒り、抑鬱などによるスピリチュアルペインの表出」があると苦のプロセスを詳しく説明しています。  

2)スピリチュアルケアの2層モデル  

 トランスパーソナル心理学では、「魂の危機」をスピリチュアル・エマージェンシー(Spiritual-Emergency)といい、「霊性・精神性の出現」をスピリチュアル・エマージェンス(Spiritual-Emergence)といいます。これは「人間の存在全体に関わる深い心理的変容をもたらす、苦難として体験される決定的な諸段階である」と定義されています。この定義を打ち出した精神科医のスタニスラフ・グロフ(Stanislav Grof)は、スピリチュアル・エマージェンシーは内的体験と外的体験の統合は難しいが、スピリチュアル・エマージェンスは内的体験と外的体験の統合、調和してコントロールが容易であるとして具体的なセラピーワークを開発しています。

 QOL(生活の質)からQOD(よき死)へ向かう態度や症状によって、クライエントの大きく2つのタイプに対する実践的ケアのあり方を意味します。それは「実存的スピリチュアルケア」と「統合的スピリチュアルケア」です。2層は別々ではなく、相関的にみることが重要です。つまり発病時点から死亡時点までの時間軸の中でクライエントの心理的な面と、より深いスピリットの面に注視していることです。(図参照)

  この実践の2モデルは、「実存的スピリットに対するケア」と「統合的スピリットに対するケア」です。「実践的スピリット」は、縁生理解からは、「自縁」と

「他縁」になり「日常的」、「家族的」、「人道的」なニーズや痛みとなります。その人の日常部分重視で、毎日の生活や暮らしでもっとも大切にしているものです。たとえば衣食住においては、大切な衣服、特別な時にだけ着る衣服、好きな食べ物、思い出の食べ物、特別な時に食べるものとその行為(儀式など)です。食べ物はスピリチュアリティに直結しており、小さいときに母や肉親に特別につくってもらった食べ物などがあります。生活環境では、大事にしていた空間やそこでの生活の営みを意味します。  

 もう一つの「統合的スピリチュアルケア」は、縁生理解では「法縁」になり「根源的」、「融合的」、「宗教的」なニーズや痛みです。死を意識あるいは覚悟をしたときから深まりをおびていくスピリチュアリティの領域です。実存的スピリチュアリティから、徐々にいのちの根源的な領域に目覚め、死後への世界も想定し、ある人は宗教意識を深め、ある人は大いなるいのちとの統合化をめざすスピリチュアリティです。

 仏教経典の『維摩経』に「癒し」の偈文があります。 『一切衆生が病んでいるので、その故にわたしも病むのです。もしも一切衆生の病が滅びたならば、私の病も滅びるでしょう。(中略)衆生が病むときは、すなわち菩薩も病み、衆生の病いが癒れば、菩薩の病いも癒ゆ』  この『維摩経』では、肉体的苦痛よりも心の苦しみ、つまりスピリチュアルペインに重点が置かれています。完治することが難しく、肉体的な死を迎えようとも、スピリチュアルな救いがあるとする仏の教えが説かれています。同時に、病む人に対するケアの本質的な立場が表示されます。仏道を背景としてケアする人(ぼさつ)は、どんな病人に対しても「あなたが苦しむから私も苦しむ」という平等と、その苦悩に寄り添うための人としてのあたたかさ(大悲)を保持することが、『維摩経』には強調されています。病人とケアラーの関係存在をみたときに「あなたは病む人、私は癒す人」という対極的存在として捉えるのではなく、ケアラー自身が「人間として弱い部分、病いたる部分」に自らが目覚めたとき、人ははじめて他者と平等に関わることができるという知見を意味しているのです。

 病人をケアするというご縁によって、癒しが実現するだけでなく、真実の関係存在に気づくという悟りが潜んでいるのです。そのケアの本質的課題としての「痛みを分かち合う関係性」を、臨床ではどこまで実現できるでしょうか。クライエントの精神的苦痛やニードを理解し、なおかつクライエントや家族に共感的態度でかかわり続けるスタッフの理解と自覚がスピリチュアルケアを達成できます。 心理臨床とスピリチュアルケアの違いを統合的観点から、滝口俊子は「心理臨床学にはさまざまな考えに基づく人間理解と治療法とが存在しているが、人間の知恵を超えた【たましい】のはたらきを尊重し、【たましい】に身を委ねて、時を待つ」のがスピリチュアルケアとして重要なことであると述べています。

3)「死生観を語ることの意味」

 クライエントと「死の話」をすることは、タブーではありません。むしろクライエント自身から、「自らの死」を堂々と受け止め、また「死の意味」をどのように感じているかを共有したいと思っている場合も少なくありません。多くの医療者は「死を語ること」は「闘病中のクライエントや家族を傷つけてしまい、結果的にネガティブ感情だけで終わる」と思っていることが見受けられます。しかし、クライエントが「死を語ること」は、むしろ「死ぬまで、あるいは死後にもこのように生きたい」と思っていることなのです。「死の意味を問い、思う時間を共有する」ことは、大切なケアなのです。 マインドフルにそして自由に「死をもの語ること」がNBM(Nrative Based Medicineナラティブ・ベースト・メディスン;もの語り医療)なのです。NBMには作文、作詞、読書、詩歌、朗読なども入ります。人が自分の死をどう受け止め、どう希望するかという情報はさまざまなのです。 筆者がクライエントや家族との対話の中で、語り合ったりする死や死後の死生観の類型が次の4つです。 ①いのちはこの世限りで、あの世や魂などはない、②肉体とは別に死後生(魂や意識体)があって輪廻(生まれ変わり)をする、③子ども、孫のDNAや遺伝子に受け継がれていけばそれでよい、④自己を超えて大きな生命体(サムシング・グレイト、神、仏、天、先祖)、あるいは大自然、宇宙性に融合、統合する 。「生きること死ぬこと」をフランクに語り合える関係性こそがスピリチュアルケアの場なのです。

(参考:大下大圓「ACP:人生会議でスピリチュアルケア、ビィングネットプレス、2020)

スピリチュアルケアとスピリチュアルケア師

伊東 和香子 臨床スピリチュアルケア師、HTSJ理事 

 スピリチュアルケアは、福祉、終末期医療の分野などで、近年、耳にするようになってきた言葉です。現場では、物理的なケアだけでは、物足りなさを感じる職員がいるそうです。また、看護学校では、緩和ケアの授業の際に「終末期の場面では、患者だけではなく、家族のスピリチュアルケアも必要だ」と教わるそうです。以前は、医療の手が届かなくなった人たち(ホスピス、緩和ケア病棟)に向けられていたスピリチュアルケアは、今では、誰でも、様々な状態にもスピリチュアルペインは存在し得ると認識されてきています。

 スピリチュアルケアは、「スピリチュアル」の語が入っていることで、大変誤解を受けやすく、また必要な人へ届きにくくなっていると思います。私の経験からですが、聞いたことがあると言った人たちの大半は、いわゆるスピ系のスピリチュアルなセラピーと勘違いされていました。恐らく、ここまで読んで「あ、違うんだ」と思われた方もいらっしゃるのではないでしょうか。ヒーリングタッチを怪し気に思われるのと、同じくらいだと思います。皆さんは、そんなことは無かったでしょうか。私がヒーリングタッチの学びに入るまで2年かかりましたから。

 私がスピリチュアルケアを学び始めたのは、8年程前になるのですが、いまだに何ぞやと問われて、一言で答えられずにいます。スピリチュアルケアの捉え方、実践範囲、ケアの方法などは、人それぞれなのです。なぜなら、スピリチュアルペインの種類やレベルについて、どこにも明確に提示されていない上に、「スピリチュアル」自体の日本語の表し方さえ統一されていません。つまり、観念的な捉え方さえ、言葉にするには各々に違いがあるということなのです。ただ私が思うに、「他者の癒しを思いやり、愛溢れる人たちが、対象者に「何かの痛み」を感じ取り、それは肉体の痛みに匹敵する、あるいはそれ以上の痛みであることがわかる。できることなら取り除いてあげたいと思い、それに努力する。」という姿勢は、共通です。

  ヒーリングタッチを学んだみなさんは、人を取り巻くエネルギーが、層をなしていることをご存じでしょう。例えば、急性期は、エーテル体を含めた現在の肉体の痛みを取り除くことが必要です。しかし、時には、アストラル体にまで及ぶ、感情の滞りをケアしたくなる状況もあります。またそれ以上に、過去世からの痛みが、今すぐにケアして欲しいことだったりすることもあるでしょう。それと同じなのです。スピリチュアルケア師の感度と技量、出会った対象者のケアの必要なスピリチュアルペインはその時々により違うので、スピリチュアルケア師が感じたスピリチュアルペインを、その人なりのやり方でケアします。

 現在、スピリチュアルケア師には、社団法人日本スピリチュアルケア学会の臨床、専門、指導という3段階の資格があります。これらの資格を取得するには、学会の「認定教育プログラム」に承認された9団体のプログラムのいずれかの課程を修了し、学会による審査を受けることになります。臨床スピリチュアルケア師は、団体によって2~4年制をとっているようです。他の資格よりはるかに時間がかかります。座学の学びだけではなく臨地実習があり、そこに臨むまでに自己理解や自己洞察を求められます。そして、自己の内面を広げたり深めたりする変化には、時間がかかるからだと私は理解しています。

 スピリチュアルケアの現場で、ヒーリングタッチを実践することができるのは、スピリチュアルケア師にとっても大変慰めになると思います。スピリチュアルケアは極力非接触を良しとするので、触れずにできる技があるということは、「何かしてあげたい」という気持ちを納得させられますから。また、ヒーリングタッチを施術する際に、スピリチュアルケアの学びがあると、裏付けというか、足元が定まっているので、どのようなクライアントでも受け止めることができると思います。ヒーリングタッチができなくても、そこにいることができます。

 HTSJでは、9月25日にスピリチュアルケア講座を開催します。一般にも開かれます。皆さまの、学びの相乗効果をねらえるきっかけになればと思います。上智大学グリーフケア研究所・特任教授、京都大学名誉教授でいらっしゃる講師の西平直先生にスピリチュアルケアとは何かを語っていただきます。皆様、是非ご参加ください。

 スピリチュアルケアの学びの領域など、詳細は、学会HPをご覧ください。
社団法人日本スピリチュアルケア学会(https://www.spiritualcare.jp/ qual/program/)

新理事ご挨拶

草村 淳子 看護師、HTI認定ヒーリングタッチ・プラクティショナー、HTSJ理事

 長崎県在住の認定HTIプラクティショナーで看護師の草村淳子です。ヒーリングタッチとの出会いは約13年前に、東京八王子で訪問看護をされていた看護師さんが、ヒーリングタッチとアロマテラピーをスピリチュアルケアとして紹介されていたセミナーに参加したときでした。未経験・初対面の参加者とお互いに簡単なレクチャーを受けながらセッションをしました。この時初めて、私は長年抱えていた腰の痛みが楽になる経験をしました。この酷使した腰に、なんとも言えない心地よい暖かさが、セッションが終わった後もずっと持続し、痛みの程度が和らぎ、気づけば何か気持ちも穏やかになったように感じました。「癒し」とはこのような体験なのかと感動をしました。この時、一時看護師を退職し整体師の仕事をしていた時なのですが、リラクゼーションの極みを体験したのだと思います。肉体からプローチする整体と、生体エネルギーからアプローチするヒーリングタッチ。この肉体とエネルギーのつながりをもっと知りたい、癒しって何だろうという思いが、ヒーリングジャーニーへの入り口でした。ヒーリングタッチのクラスを受け、ヒーリングを人にしたい盛りの頃でした。息子の小さな親指の爪がボロボロになり数か月そのままの状態であったため、レーザーで、息子には「おまじないだよ」と言って簡単に実践してみました。その時にぼんやりとその爪から黒い煙のようなものが出てきて(そのように幻が見えたのかもしれませんが)不思議な感じがしました。その時以降どんどん爪が正常な状態に改善していきました。特に息子に対して親の思いがあっての結果なのかもしれませんが、「治そう」とは思っておらず、「良い方に向かえれば」というフラットな思いでの実践でした。これが、ハートからの無条件の愛のエネルギーを使ったアプローチなのだな、と思いました。結果に執着せず、「その人にとって最善のことが起きますように」という意図を学んだように感じました。ヒーリングタッチのクラスで学んだことが、日々の生活の中で自分の経験を通して腑に落ちる瞬間があります。「癒し」とは、新たな気づきを得て自身の生体エネルギーの流れを変えていくことで心身の改善を促してくれることなのだろうと思っています。これからもっとヒーリングタッチを通して新たな経験をしていきたいと思います。

 

山本 晴美 看護師、ヒーリングタッチ・レベル5受講、HTSJ理事

 はじめまして。4月より理事になりました山本晴美です。よろしくお願いします。私とヒーリングタッチの出会いは、看護師として病棟で勤務していた時に、先輩から海外では病院で治療の他にいろいろな補完療法があり、中には看護師が行っているものもある。そのうちの1つである「ヒーリングタッチ」が今度海外から先生が来てセミナーがあるので、一緒に参加してみませんかと声をかけられたことがきっかけです。最初はなんだかわからないままに参加し、他の人のエネルギーを手で感じてみたり、何かが暖かったり冷たかったり、柔らかかったりギザギザだったり、不思議な体験でした。

 2つのレベルを修了した頃、担当だった男性の患者さんから抗がん剤の治療を受けるたびに、遮光カバーを見ると気分が悪くなる(予期性悪心・嘔吐)という相談を受けました。ヒーリングタッチに誘ってくれた先輩、患者さんと3人で相談し、治療の前日と治療初日の調子が良いときにヒーリングタッチをやってみました。患者さんから「なんとなく良いかも」と笑顔でおっしゃって頂き、その後も何度か化学療法のたびにヒーリングタッチを行いました。退院後も、ご自宅ではヨガをしたりしながら前向きに治療に取り組んでいけるようになられたのもヒーリングタッチのおかげかもしれません。また、別の患者さんと奥様から、治療の副作用から入院して一度もぐっすりと眠れたことがないとの訴えがありました。もちろん睡眠導入剤も全く効きません。もしかしたらと15分程度のヒーリングタッチを行ったところ、5分を過ぎたころから寝息を立ててお休みされました。奥様は初めてそんな姿を見たと喜んでいらっしゃいました。それから、数年後のある日、この患者さんはこれまでの治療の効果がなくなったことを宣告され、一晩病院に入院することになりました。私が消灯後に巡視で訪室すると、真っ暗な中、ぽつんとベッドサイドに座っていらっしゃいました。「眠れない」との言葉に医師の指示のとおり、睡眠導入剤をお勧めしたところ、「私はこれまで、病気を治すために毒と言われる薬も我慢して使ってきた。今、もう病気が治らないのに、これ以上薬を使いたくない」と言われました。さあ、どうしよう。普段から口数の少ない方がこれだけきっぱりと拒否をし、辛すぎて言葉も出ない傍らで寄り添うのも…そんな時に、「以前やったマッサージをやってみますか」とお声をかけました。「いいの?やってくれるの」との言葉に時間を調整し、15分ヒーリングタッチを行ったところ、またゆっくりと寝息を立てられ、その後朝までぐっすり休まれ退院されたと聞きました。

 医療現場においては、今もなお、現在の医療や看護ケアだけでは解決できないことはたくさんあります。そんな時にヒーリングタッチがケアの1つとして使えたら、一人でも多くの患者さんに幸せな時間が訪れるのではないでしょうか。その日が訪れることとその仲間が増えることをいつも願っています。

お知らせ

HTSJ 2022 スケジュール

7月 9日  ZOOM勉強会
7月10日 リアル練習会(東京)
8月 7日  リアル練習会(東京)
9月24日 リアル練習会(東京)
9月24日   ZOOM練習会
9月25日 スピリチュアルケア講座

ボランティアスタッフ募集
HTSJでは、ボランティアスタッフを募集しています。作業時間や内容は、ご希望やスキルに応じます。作業分野としては、①各種講座運営、②企画、③広報・宣伝、④経理・財務、などです。ご応募、ご質問は、お問い合わせフォームまでご連絡ください。

☆皆様からの寄稿をお待ちしております。
ヒーリングタッチの実践、応用、練習会の体験など、是非、お寄せください。
ご投稿、ご連絡、お問合せ先:お問い合わせフォーム

HealingPresence –HTSJ会報誌- 年4回発行  

編集チーム 戸田美紀、鈴木幸子、大木恵美子、伊東和香子、草村淳子、山本晴美


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